お正月から忍び寄る
輝かしい初日の出が世界を染め上げ、希望に満ちた新年の幕開け。
家族の笑い声、温かいおせち料理、賑やかなテレビ番組。
誰もが穏やかな時間の流れに身を委ね、未来への期待に胸を膨らませていた。
しかし、その幸福な日常の淵から、まるで深海に棲む得体の知れない影のように、確かに何かが忍び寄っていた。
それは冷たい視線にも似て、静かに、そして確実に、人々の心を蝕み始める。初めはごく些細な違和感として、耳元を掠める風の音、視界の隅を横切る黒い影、あるいは胸の奥底に沸き起こる説明のつかない不安感。
誰もがそれを正月の気の緩みや夢の名残だと片付けようとした。
しかし、その“何か”は、日を追うごとにその存在感を増し、甘やかな祝祭の空気の裏側で、じわりと現実を侵食していくのだった。
そう「仕事」「労働」である。
この一言が、澄み切ったガラス細工のように儚かった新年の空気を、たちまちにして濁らせる呪文となった。
それは、闇夜に潜む獣のように、あるいは深淵から蠢く触手のように、ゆるりとその姿を現し始めたのだ。
祝祭の輝きは急速に色褪せ、まばゆい彩度は鈍いセピアへと変容する。
かつて温もりを湛えていた手のひらは、いつしか冷たいスマートフォンの光に照らされ、鳴り響く通知音や届き始めるメールが、無慈悲に自由な時間を寸断していく。
甘美な夢の残滓が溶けていくように、心は現実の重さに沈み込み、思考は次から次へと押し寄せるタスクの波に飲み込まれていく。
それは、逃れられない義務の鎖であり、抗うことのできない潮流。
あの初日の出の約束は、遠い蜃気楼のように霞み、人々は再び、巨大な歯車のひとつとして、灰色の日常という名の迷宮へと歩みを進める準備を始めるのだった。
そこには、ただ無限に続く労働の影と、擦り減っていく心身の倦怠感だけが、彼らを待ち受けていた。
もう一度やってきてほしい希望
希望は次の「休み」へのつながる。
それは、砂漠の旅人が渇望するオアシスであり、嵐の海を彷徨う船乗りが目指す灯台の光だ。
幾日もの灰色の日々を越え、魂が枯渇しそうになった時、心の中で静かに、しかし確かに燃え続ける小さな炎。
次に訪れる自由な一日、あるいは数日間の休息を夢見ることが、疲弊した精神に微かな潤いをもたらす。
「休み」という言葉の響きは、乾ききった大地に降る恵みの雨のように、心に瑞々しさを取り戻す。労働という鎖から一時的に解放され、自身の内なる声に耳を傾けることができる貴重な時間。
それは、失われた色彩を取り戻し、思考の翼を広げ、魂が深く呼吸する瞬間だ。
人々は、その小さな希望の種を胸に抱き、やがて来る次の休日という名の楽園を夢見て、再び目の前の現実に立ち向かう力を絞り出す。
あの初日の出が再び地平線から昇るように、そしてその光が世界を照らすように、希望という名の「休み」は、また必ずやってくる。そう信じて、彼らは明日へと歩みを進めるのだ。